Sommelier- 連載5 日本の芸術がオールドバカラに影響を与えた時代
一般社団法人日本ソムリエ協会が発刊する会報誌にオーナー井村による7回の連載を掲載:第5回目
18世紀半ば、フランスではガラスの生産技術がなく、ボヘミアから高価なガラス製品を輸入していました。しかし、ルイ15世は外貨を獲得するためガラスを自国で生産しようと考え、フランスの東、ロレーヌ地方のバカラ村で1764年に産業を興すように命じたことがバカラ社の起源です。
この一連の流れは明治期に日本が工芸品で外貨の獲得に成功したことと似ています。
開国を迫られていた幕末、日本はその引き延ばしのためにヨーロッパに使節団を送りました。その使節の一人である福沢諭吉は、当時(1862年)開催されていたロンドン万博を見学した際、イギリスの初代公使オールコックが出品していた日本物に多くの観衆が興味を持っていることを目の当たりにし、海外貿易に着目します。そして帰国後には福沢諭吉がノリタケカンパニー創業者の森村市左衛門に「焼き物で海外貿易を目指そう」と助言をした記録が残っています。
当時の日本は、欧米列強と金の不平等条約を結んだことから、財政難という高い壁がたちはだかっていました。その壁を超える手段はひとつ。外貨を獲得するしかなかったのです。そこで白羽の矢が立ったのが美術工芸品でした。万博で日本がグランプリを獲得すれば、諸外国と対等の立場で取引が行えると考え、1867年のパリ万博に幕府・薩摩藩・佐賀藩がそれぞれ参加し、幕府が見事にグランプリを獲得するのです。
そして、1873年のウィーン万博には明治政府の出展が正式に決まり、ヨーロッパに一大旋風を巻き起こしたジャポニズムの幕開けとなります。
血を流さない戦争とまで言われたパリ万博(1878年)では、世界各国が日本の芸術を模した作品を出品しました。
なぜそれほどまでにヨーロッパの美術界に衝撃を与えたのか
それは日本人がもともと持つ「はかなさ」や「無常感」を尊ぶ精神を、万博や国外に向けて徹底的に細密に描き、年月をかけて「超絶技巧」と呼ばれる秘技によって見事に表現したからです。
しかし、職人の技術の頂点を極めたその技術は簡単に作りあげられたわけではありません。
明治期に作られた「超絶技巧」の作品には歴史が深く関わっています。
江戸後期、商人が富を得て贅沢に走る風潮を止めようと、奢侈禁止令が出され、手の込んだ豪華な作品を作ることができなくなります。
しかし明治に移り、外貨獲得の手段として「時間をかけ、テクニックを追求した作品」を手掛ける動きが加速すると共に、くすぶっていた職人魂に一気に火がつきました。そして「超絶技巧」を駆使した美術工芸品が花開き、全世界に強い衝撃を与えたのです。
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京都美商ギャラリーは、1961年に京都下鴨で創立した西洋アンティーク・肥前磁器の専門店です。長年蒐集をしてきた経験をもとに、オールドバカラやオールドフランス、古伊万里や柿右衛門などを取り扱っております。量産品ばかりの近年では見られなくなった職人技、手作りの温かみの魅力をより多くの方に身近に感じて頂きたいと考えています。
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