Sommelier- 連載1 (前半) 日本の焼き物を世界の舞台へ
一般社団法人日本ソムリエ協会が発刊する会報誌にオーナー井村による7回の連載を掲載:第1回目(前半)
オランダ東インド会社が日本の焼き物を世界の舞台へ
空白の160年の謎を追う
「井村美術館」は、鎖国中に長崎の出島から海を渡りヨーロッパへ運ばれた、古伊万里・柿右衛門や薩摩焼を里帰りさせること、また日本の誇る素晴らしい美術品を多くの人々に身近に感じていただくために1981年に開館しました。
父の代理で20歳のとき、パリの古美術のオークションで、1680年頃に有田で焼成された柿右衛門様式の大壺を落札して以来、パリへの渡航は100回以上。パリの蚤の市にも足繁く通っているうちに、ある一つの疑問を持ちました。
パリで見かけた日本の焼き物は江戸時代の鎖国中の長崎・出島からヨーロッパへ輸出されたものか、明治の初期のヨーロッパで一大旋風を巻き起こしたジャポニズム時代のもののどちらかだとうこと。つまりその間の160年間(1710~1870年)がすっぽり抜け落ちている事実に気が付きました。
なぜそこの160年間が空白なのか。いったいどんなことが日本やヨーロッパで起こっていたのか。
私の美術商としての出発点はこの謎を紐解くたびでした。その旅の半ばでオールドバカラに出会うという幸運に恵まれ、それがやがて自分のライフワークになりました。
この連載では、私は歴史学者という立場ではなく、美術商としての視点で、日本の焼き物の数奇な運命と歴史を解説していきます。
豊臣秀吉と焼き物戦争
豊臣秀吉は、国内統一後、諸藩に命じて朝鮮半島に兵を送ります。それが16世紀後半の「文禄・慶長の役」です。その目的は諸説ありますが、美術界で有力な説は「焼き物戦争」。秀吉の「高麗青磁茶碗」への強い憧れと執着心からの謀(はかりごと)ではないかと言われています。
強くて堅い磁器の焼成の技術を朝鮮半島から日本に持ち帰りたいという狙いがあり、朝鮮人陶工を連れ帰って技術の高い茶碗を作るようになります。
もちろん、当時はまだ日本で作ることができなかった磁器への憧れも高かったと思われます。朝鮮朝鮮出兵の拠点であった、唐津(佐賀県)の名護屋城へ陶工を連れて帰り、その周辺で陶石を探すことを命じたという行為からもそれが推察できます。そして陶工の一人、李参平が有田の泉山で白磁鉱を発見し、窯を築き、これが有田焼の始まりとなります。
ここで不思議なことは、もし朝鮮出兵の拠点が唐津ではなく、例えば他の場所だったなら、いくら探しても陶石は発見されなかったはず。なぜなら陶石はこの地球上でもごく限られた土地にしか存在しないからです。佐賀県有田(泉山)で発見されたことは奇跡としかいえません。もしかしたら秀吉の茶碗へのすさまじい執念がそうさせたのかもしれません。
日本の焼き物の扉を開いたのはオランダ東インド会社
日本の焼き物をクールジャパンの重要なコンテンツとしてヨーロッパへ最初に紹介した立役者がオランダ東インド会社です。1602年に世界初の株式会社としてオランダで設立されたオランダ東インド会社は、1624年頃にアジアとヨーロッパの交易の独占権を得ます。船で運ばれた中国・景徳鎮の「色絵磁器」は、ヨーロッパの王侯貴族たちの間で人気を博し、高額で取引され、大きな利益を得ることになります。当時、どうして染付だけの青い作品ではなく、「色絵磁器」に人気があったのかというと、ヨーロッパの豪華な宮殿には、「色絵・金彩」が最も調和が取れたからと考えられます。
ところが。明末清初の動乱で、中国では良質の焼き物の生産がストップしたため、大事な商材を失ったオランダ東インド会社は、次の輸出先として、日本の有田焼に白羽の矢を立てるのです。そして、当時、染付・青磁・白磁しか作ることができなかった有田の町に、中国・景徳鎮の顔料や赤絵の技術を酒井田柿右衛門へ伝え、研究を重ね、1658年に赤絵の作品を完成させました。それ以降、オランダ東インド会社経由で柿右衛門様式はヨーロッパで高値でやり取りされ、柿右衛門様式に代表される有田焼が外貨を稼ぐ第一号のコンテンツとなっていくのです。
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