ハンケイ500m(Vol.44)- 連載4 パリ万博の衝撃 ヨーロッパを席捲したジャポニズム
-ハンケイ500m 連載4-
京都の「本物」を特集するフリーペーパーに6回の連載を掲載:4回目
エミール・ガレが影響を受けた東洋の禅的境地
幕末、1867年、日本が初めてパリ万博に出品したのを機に、ジャポニズムの衝撃が走ります。美しさを極めた技巧や表現、その感性にヨーロッパの人々は魅了されたのです。以来、各国で開催される万博ではジャポニズムの影響を色濃くしていきます。たとえば、かの有名なルイ ヴィトンのモノグラムやダミエラインも日本の市松文様やその他のデザインから着想を得ています。
そしてアール・ヌーヴォーの旗手であるエミール・ガレもまた、”フランスで生まれた日本人”と言われるほど、日本からの影響を受けます。
儚い生命の蜻蛉、ひとよ茸 日本の無常観に魅了される
それまでの西洋のモチーフといえば、ギリシャ神話のような永遠不変のものでした。それが日本では、虫-それもトンボやセミといった命儚き昆虫-に着目している。ガレはその感性に驚くのです。
ガレの代表作である「ひとよ茸」ランプ、あれは一夜で溶けて消えてゆく茸をモチーフにしています。ガレ自身、終焉の時には枕元に「ひとよ茸」ランプを置いていたといいます。1900年のパリ万博の4年後、まさしく絶頂期にガレは亡くなります。58歳、白血病でした。蜻蛉であったり、蝉であったり、蟷螂(とうろう)であったり…。その短い生命、生きとし生けるものの儚さの中に自信を投影したのだと思います。
エミール・ガレの匂いたう名品と第三工房の量産品
ガレは、哲学、文学に秀でているのは言うまでもなく、鉱物学、植物学、生物学に精通していました。ガラス造形は分業で行われるので、各行程に専門の職人がいます。しかし、ガレが横について熱く関わった作品は、その存在感、熱量がはっきりと違います。
実は、百貨店で売られているものの90%近くが、ガレの死後に制作された工房品、すなわち量産品です。おそらく、ガレと聞いて誰もが思い浮かべる被せガラスにエッチングのランプ。あれをいわゆる「ガレ」と思い込んでいるかもしれませんが、あれはアールヌーヴォーの影響も弱く、ガレらしさがありません。ガレが生前に想いを込めて作った物は、大変貴重で、美術館に所蔵しておくレベルとなり、オークションでも高額な取引をなります。しかし、ガレの遺族が操業していた第二・第三工房と呼ばれる作品は、その価値とは比べられない作品群となります。
まだバブルの余波が残っていた90年初頭、巷ではガレのブームが巻き起こり、放っておいても売れるという時代がありました。工房物であっても価格はどんどん高騰し、その渦中にあって、私は疑念を抱き始めました。
ガレやドームの工房作品は、実際にそれらが持つ価値をはるかに超えて取り引きされるている。これらの作品は、いつしか暴落し、お客様に迷惑をかける可能性が高く、美術商として信用に関わってくるのではないか…と。(実際に、工房作品は現在ではその当時の取引価格から4分の1まで下がってきています。)
そして、同時期にオールドバカラを扱うようになると、京都美商はガレやドーム兄弟の作品を扱うのはやめたらしいと噂がたちました。私としては、ガレやドームを扱いながら、両輪でオールド バカラを紹介していくつもりだったのですが、販売として関係があった百貨店側より、「オールド バカラを専門にやるのであれば、一つの業者に偏らないように、ガレ・ドームは他の西洋美術商に任せる」というお達しがありました。
美術作品を守るために資金が必要な事実の一方で、その手段を手放してオールドバカラに賭ける、西洋美術商としての心意気が問われる正念場となっていくのです。
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京都美商ギャラリーは、1961年に京都下鴨で創立した西洋アンティーク・肥前磁器の専門店です。長年蒐集をしてきた経験をもとに、オールドバカラやオールドフランス、古伊万里や柿右衛門などを取り扱っております。量産品ばかりの近年では見られなくなった職人技、手作りの温かみの魅力をより多くの方に身近に感じて頂きたいと考えています。
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