ノリタケ
ノリタケの物語は、明治維新後の日本が海外へと大きく目を向けはじめた時代に始まります。1876年、森村市左衛門と弟の豊が東京・銀座四丁目に設立した森村組は、輸出貿易を通じて新しい日本の可能性を切り開こうとしていました。
市左衛門は、幕府使節団の渡米に際して貨幣の交換レートの不利を知り、日本の将来に危機感を抱きます。福沢諭吉に相談した彼は、「貿易によって取り戻すしかない」という助言を受け、海外貿易こそ国を支える道であると確信するようになります。この情熱が、後に世界的ブランドへと成長するノリタケの礎となりました。
一方、弟の豊はニューヨークに渡り、1878年、6番街に日本製品販売店「日の出商会モリムラブラザーズ」を設立します。ちょうど欧米ではジャポニスムの熱が高まり、日本の陶磁器や工芸品は大きな注目を集めていました。こうした時流に乗り、モリムラブラザーズは急速に存在感を強めていきます。
実用品から美術陶磁へ — 海外市場で確立した地位
創業当初、モリムラブラザーズは屏風や骨董品を扱っていましたが、やがて欧米で大量需要のあるコーヒーカップに着目した豊は、自社製造による本格的な陶磁器生産へ踏み切ります。
繊細な手描き装飾と高い品質、そして手に届きやすい価格設定によって製品は人気を博し、1911年にはニューヨークで取引される日本製陶磁器の 3分の2を同社が占める までに成長しました。増大する注文に応えるため、1904年、愛知県則武に日本陶器合名会社(現ノリタケ)が設立されます。ここで素地の製造が行われ、森村組が絵付けと輸出を担うことで生産体制が整えられました。
技術革新と挑戦 — 日本初のディナーセット誕生
ノリタケの歴史において大きな節目となるのが、1914年に完成した日本初の純白ディナーセット「セダン」です。均一な25cmプレートを量産することは当時の日本では極めて困難で、生地と釉薬の改良を重ねながらも、完成までには20年という長い歳月を要しました。しかし、経営陣と技術者の粘り強い努力、さらに米国取引先の協力によって、ついに世界に通用する製品が誕生します。こうした挑戦の積み重ねが、日本陶器の技術力を飛躍的に高め、後の国際的ブランド形成へとつながっていきました。
芸術性とデザイン — 海外で育まれた美意識
ニューヨークの図案部では、現地に滞在する日本人デザイナーが最新のファッションや美術の潮流を吸収し、独創的なデザインを次々に生み出しました。
ジャポニスムやアール・ヌーヴォー、エジプト風景など多彩な意匠が試みられ、アメリカ市場で高い評価を受けます。1920年代には、欧米で流行したアール・デコに呼応し、ラスター彩を用いた鮮やかな製品を発表。これまでの金盛・盛上といった技法に加え、新たな装飾表現を取り入れることで、ノリタケは独自の芸術的地位を確立しました。
輸出陶磁器の黄金期 — オールドノリタケの魅力
明治期から第二次世界大戦終結までの間、森村組と日本陶器が生み出した数々の製品は海を渡ってアメリカを中心に輸出され、華やかな装飾と日本的な感性が融合した独自の美をもって高く評価されました。
こうした歴史的背景をもつ作品は、後に「オールドノリタケ」と称され、現在も世界中で多くの愛好家によって大切に蒐集されています。
製品には年代別の裏印(バックスタンプ)が施されており、それによって製作年代や輸出先を知ることができる点も魅力のひとつです。アメリカのみならず、英国、インド、インドネシア、オーストラリア、ニュージーランド向けなど、輸出先に応じて異なる銘が存在し、その違いを読み解く楽しさは、コレクション文化を支える大きな要素となっています。