
右から十二代・十三代・十四代 柿右衛門氏 肖像
柿右衛門(Kakiemon)
柿右衛門の歴史は、日本における磁器文化が大きく花開いた肥前有田を舞台に始まります。文禄・慶長の役を経て渡来した朝鮮陶工団が泉山の陶石を発見したことで、1610年代、日本で初めてとなる磁器が誕生しました。
やがて1640 年頃には色絵磁器の技法がもたらされ、柿右衛門様式の源流となる焼物が、長崎出島を経由してオランダ船によって西欧の王侯貴族へと届けられます。景徳鎮に倣った初期様式から始まった有田の磁器は、1670年代には独自の様式美を獲得し、今日「柿右衛門様式」として世界的に知られる日本の色絵磁器へと成熟していきます。
1680年頃から1720年頃まで、有田は世界市場に名品を送り出す黄金期を迎えましたが、ドイツ・マイセンに白磁技術が広まると輸出は減少し、有田焼は衰退の時代へと向かいます。
再生への道 — 近代柿右衛門の誕生
明治維新後、窯業が自由化されると、有田の産業は時代に翻弄され、長らく続いた衰退にさらに拍車がかかりました。
こうした中で家門の再興を強く志したのが 十一代柿右衛門(1845–1917) です。江戸期から継承された華麗な柿右衛門様式に立脚しつつ、荒廃した家業を立て直すために尽力しました。また、有田全体で使われていた「角福」銘を柿右衛門窯の商標として登録し、近代窯としての基盤を築いたことも特筆されます。
十一代の思いをさらに深く受け継いだのが 十二代柿右衛門(1878–1963) でした。
彼は輸出最盛期に作られた濁手の美に心を奪われ、その復興に生涯を捧げます。戦中戦後の困難な時代にも制作を続け、必ず泉山陶石を使用するという職人的こだわりを貫きました。泉山陶石は当時でも入手が難しい最高級素材であり、その徹底した姿勢に十二代の気概がうかがえます。
そして1953年、十二代と十三代の長年の研究と努力が実を結び、約250年途絶えていた濁手がついに復活します。この功績は高く評価され、重要無形文化財の総合指定を受けるに至りました。
革新と継承 — 作風の広がり
十三代柿右衛門(1906–1982) は、十二代の復興した濁手に独自の表現を与え、新たな境地を切り開きました。
自然の草花を写生することに没頭し、大胆な構図と絵画的表現を追求。乳白色の濁手釉に鮮やかな色絵を配した作品は独自の様式を確立し、1971年には十三代を代表とした技術保存会が結成され、濁手技法が重要無形文化財の総合指定を受ける礎となりました。
後を継いだ 十四代柿右衛門(1934–2013) は、素材そのものの美に向き合い、現代の陶石を用いていかに江戸期の濁手へ迫るかを探求しました。日本画で培った繊細な筆致を活かした花文様は高い評価を受け、2001年には色絵磁器の分野で人間国宝に認定されています。
そして現在、十五代柿右衛門(1968– ) は、伝統と現代生活を結ぶ新たな表現を追求しています。
柿右衛門様式に縛られず、「団栗文」や「唐梅文」といった新意匠、さらには赤を用いない作品など多角的な創作を展開。さらに、海外デザインとの比較研究や新技法の模索など、現代の視点から柿右衛門窯の未来を切り開いています。
様式の成熟 — 世界が育て、日本が磨いた美
17世紀にヨーロッパの東洋趣味が育んだ柿右衛門様式は、日本人の美意識によって新たなスタイルへと洗練されました。
華やかにして余白を尊ぶ構成、柔らかな乳白色の素地、自然を詩情豊かに捉える絵付け――これらは数世紀を経た今も変わらない魅力として世界に愛されています。
そして近代以降、歴代当主たちが重ねてきた研究と革新によって、柿右衛門様式は伝統と創造を併せ持つ唯一無二の磁器文化として、現在もなお進化を続けています。