Sommelier- 連載2 (前半) ヨーロッパで最も有田焼を愛した王様
一般社団法人日本ソムリエ協会が発刊する会報誌にオーナー井村による7回の連載を掲載:第2回目(前半)
有田焼とは?
有田焼には、「柿右衛門様式」「鍋島焼」「伊万里焼」の3種があるのですが、今回はその基本的な解説からはいりたいと思います。
●柿右衛門様式
これは前号で詳しく書きましたので、簡単に説明しておきます。
上図にある作品のように、乳白色の地肌に、余白を残して描かれた色絵(乳白手)や、狩野派・土佐派・琳派系の絵で描かれた作品は、独特な風合いを感じることができ、それらの作品を総称して柿右衛門様式といいます。1660年から1700年にかけてオランダ東インド会社の手によりヨーロッパへ輸出されると、古伊万里と共に大変愛され、外貨を最も作った焼き物のひとつと言えます。
●鍋島焼
鍋島焼は、実は献上品であり、販売目的で焼かれたものではありませでした。その背景から説明しましょう。鍋島藩は関ケ原の戦いで豊臣側について負けます。しかし、同じ豊臣側の立花宗茂を攻めたことで徳川家康より所領をもたらされ、とりつぶしは免れたものの、藩としての存続価値は脆弱。鍋島藩の生き残り戦略として、17~19世紀にかけて鍋島藩直営の御用窯で献上品として磁器を特別につくらせたのです。江戸幕府、朝廷、諸大名に鍋島焼を贈り、藩の力を認めさせるという戦略をとったわけです。
その鍋島焼で赤絵付けを行っていた今泉今右衛門家が、鍋島焼を継承している窯元です。今右衛門窯の歴史は次のようになります。
「鍋島藩窯では、市場に全く出さない献上品・贈呈品・城内用品の磁器を制作させるため、藩主の命を受けた『陶器方役』として優れた陶工31人を選び造らせ、色絵付けは今右衛門家が行いました。御用赤絵屋としての今右衛門家では、斎戒沐浴をして色絵付けをし、赤絵窯の周りには鍋島藩の紋章入りの幔幕を張り巡らし、高張り堤灯を掲げ、藩史の警護の下で赤絵窯を焚き続けたと伝えられています。(中略)特に赤絵の秘法が他藩へ洩れるのを防ぐため、藩は家督相続法を作り、一子相伝の秘法として保護しました」
つまり、細かい絵付けをするのは誰でもできることではなく、有田の中でも飛びぬけて腕のいい職人をよりすぐって集めて制作したのが鍋島焼といえます。
●伊万里焼
陶器主流の時代、磁器はまだ珍しく高価だったため、顧客は主に、各藩主に代表される特権階級だったと思わます。
なぜ珍重されたかというと、私はその「色」と「音」にあると考えています。当時の日本の建築を考えてみましょう。内部は木と紙の集合体といってもよいでしょう。しかも木材は経年変化とともに黒味を帯びてそれがなんともいえず味わい深い趣になりますが、ろうそくの光だけでは相当に暗かったと思います。それだけに闇の中で真っ白に光輝く美しさが人の心をとらえたのではないでしょうか。
しかも磁器の表面はガラス状の釉薬がかかっているので、チーンと澄んだ音が放つわけです。硬くて耐久性もありながら、なめらかあ手触り。陶器にはなかったこれらの魅力に藩主たちに代表されるような富裕層にとって一種の魔力のように、伊万里焼が珍重されることになります。
このように柿右衛門様式は海外、伊万里焼は海外輸出用として「伊万里金襴手」などがありますが、一般的には国内でもてはやされ、鍋島焼は献上品として、政治力を発揮したということになります。
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