海のシルクロード
伊万里焼発展の道
日本初の磁器、伊万里焼は1616年頃、朝鮮より渡来した李三平という陶工が有田郷泉山(佐賀県有田町)で陶土を発見したことにより誕生しました。2016年で伊万里焼の歴史は400年となります。
伊万里焼は世界でも知る人が多く、ここまで発展したのにはまだ磁器製法が発見されていなかったヨーロッパで、多くの王侯貴族たちが競って伊万里焼を収集したことに起因します。1660年頃から約100年足らずの間に300万点もの伊万里焼がヨーロッパへ輸出されました。17世紀に創設されたオランダ東インド会社により、多くのアジアの品々が海のシルクロードともいえる航路を運ばれてゆきました。後に陶磁の道「セラミックロード」と名付けられました。日本は鎖国下であったため、伊万里焼は長崎の出島から東南アジア、インド洋を経てインド、アラビア半島に至る海路を数か月もの航海を経て苦難の末にオランダ東インド会社の拠点アムステルダムまで運ばれました。セラミックロードの中継地であるインドネシアやケープタウン、ケニアなど各地では船員がプライベートで持ち込んだ伊万里焼が美術館や民家などに飾られており、今もその痕跡をたどることができます。また、当時ケープタウンで700個もの伊万里焼を1戸の家で持っていたケースもあり、ヨーロッパのみならず他の国でも伊万里焼が人々を魅了していたことを物語っています。
皮肉にもドイツのマイセン窯の誕生によって伊万里焼の輸出が途絶えてしまったため、有田ではヨーロッパ王侯貴族のための美術品制作から、国内へ向けた日常用の器の制作へと移行しました。この転換は当時の世情にも乗り、庶民にも伊万里焼が行き渡る機会となりました。小皿や中皿、蓋付の碗、猪口など同じ模様で揃えた膳のセットや当時の食生活に合わせた様々な形や図柄の食器がつくられました。
これまで輸出を背景に発展してきた高度な技術が施された食器は、精巧な絵付けや色彩の美しさなどアンティーク特有の味わい深さがあり人気です。職人の手で心を込めてつくられる器によって、私たちは日々の生活のなかで心癒されることができます。多くのものが機械化されている現代にあっても、心のこもった手づくりの素晴らしさを私たちは忘れてはならないのです。
こうした400年の歴史と伝統を受け継ぎ、今右衛門・柿右衛門は高級食器を制作しています。小さな器にも手を抜くことなく繊細な絵付けが施されています。吉祥模様が多く、ハレの日の演出に欠かせない器です。