エミール・ガレ
フランス語で「新しい芸術」を意味するアール・ヌーヴォーは、1890年代の世界のあらゆるジャンルの芸術家に爆発的に浸透し、国際的な美術運動となりました。ルネサンス以降、現実をありのまま再現する写実主義的な考え方が西洋美術の伝統でしたが、アール・ヌーヴォーの作家たちは、従来の様式に囚われず過去の芸術概念から抜け出し、自然界からインスピレーションを得た生命力溢れる作品を作り出しました。それは当時としては、とても革新的な行為でした。
アール・ヌーヴォー期に活躍したガレとドームは、フランスのガラス工芸界を代表する作家です。
ガレは、1878年のパリ万博出品から白血病で死去する1904年までの約25年間に様々な作品を発表しました。豊かな自然の中で生まれ育ったガレは、植物や昆虫をこよなく愛しました。当時ナンシーに留学していた日本人、高島北海との出逢いにより日本人の美意識に強い感銘を受けたガレは、日本美術に触れたときの印象を「自然の中に潜む命の輝きにみせられた」と回想しています。
ガレはこの時に受けたインスピレーションをガラスで表現することに成功しました。従来の光を透す透明ガラスというイメージから脱却し、これまでにない、光を内に留めた神秘的なガラスをつくりだしたのです。
初期のガレ
ガレが自身のスタイルを確立する前に制作したロココ調の作品です。生命の源である神秘的な海洋を見事にガラスで表現しており、海のかおりや潮騒が聞こえてくるようです。エナメル彩を立体的に厚く盛り上げ細部まで細やかに描いた貝殻はまるで本物のようで、ガレの繊細な感覚と技術の高さが感じられます。
ガレは初期のころ、ロココ様式や古典様式、ジャポニスムなどの様式を混在して使っていました。
アール・ヌーヴォー様式
草花などの自然がつくりだす曲線美を取り入れたアール・ヌーヴォー様式の作品は、パリ万博への出品を期に瞬く間に世界的な流行となりました。
ガレは単に動植物の姿を忠実に写し取るだけでなく、「自然を愛でる心」「命の儚さを知る」という日本人の美意識から学んだように、ガレ自身が感じ取った感情を素直に作品に表現しました。それは、ガレが工房の扉に刻んだ言葉にも表れています。
「我々の根源は森の奥深くにある。小川の岸辺、苔の中に」
ガレの死
1904年にガレが白血病で亡くなったあと、ガレの幼友達で生前にも下絵などを提供していた画家のヴィクトール・プルーヴェやガレの娘婿が工房を引き継ぎました。山水風景を明るい色調で描いたものや、型を使用して果実や花を浮き彫りにした「スフレ技法」は今も高い評価を得ています。
ガレの熱狂的な創作意欲によって開始されたガラス工芸の制作も、世界大戦の始まりや不況など社会状況の変化によって人々の間に高額な美術品を鑑賞したり購入したりする心の余裕がなくなってゆき、ガレのガラス工房は忘れられることとなり、1931年に工房は閉鎖されました。