フランス初のガラス工場
「バカラ」
1764年、パリから東に約400km離れたアルザス・ロレーヌ地方南部のバカラ村にフランス初のガラス工場が設立されました。
アルザス・ロレーヌ地方はドイツの国境に近く、シュバルツヴァルト(黒い森)と北フランスのヴォージュ山脈との間に横たわる
山の多い森林地帯です。
豊な森林資源と澄んだ空気、清らかな水を利用するため、ムルト川右岸の小さな村に建設されました。
それまでフランスでは、ガラス工芸品を制作する技術を持っていなかったため、高価なクリスタルガラスをボヘミアから
大量に輸入していました。その結果、ヨーロッパ諸国との間で行われた七年戦争(1756-1763)後の国家再建のための
資金が国外に大量に流出していました。戦争で疲弊し、失業者であふれたフランスを憂いだロレーヌ地方の統治主、
ラバル司教は、1764年、国王ルイ15世にガラス工場設立を請願し承認を受けたのです。
バカラクリスタルの誕生
世界で最初のクリスタルガラスは1671年、イギリスのガラス工場で偶然に生まれました。
その後、19世紀になってクリスタル製造技術はフランスへ伝播し、1816年、バカラは高級クリスタルの製造を始めました。バカラでは、秘伝とされていたボヘミアのガラス製作技術の解明にいち早く取り組み、その技術を取り入れることに成功しました。その結果、バカラは高級クリスタルの代名詞と言われるまでに成長したのです。
オールドバカラ
19世紀後半、パリで相次いで開催された万博での成功をきっかけに、バカラは世界中のセレブリティから多くの注文を受けました。目の肥えた彼らを満足させる製品をつくるため、職人達の技術は頂点に達しました。オールド バカラは、ジャポニスムやアール・ヌーヴォー、アール・デコなど流行を敏感に反映しながらも、王侯貴族の宮殿などの豪勢な調度品と調和するようにデザインされています。必要以上に自己主張をせず、清楚に輝く作品は、多くのセレブリティの洗練された感覚をも満足させるに十分な魅力を持ち合わせています。
コラボレーション
19世紀、バカラではブロンズやシルバーと組み合わせた作品を制作しています。装飾具には、バカラで制作されたものと外注の2種類のものがあり、この作品の装飾具は、クリストフル社が製作しています。当時、他業種とのコラボレーションは画期的なことでした。
ヨーロッパでは銀器の歴史は古く、銀器は世代を経て大切に扱われてきたテーブルウエアの華とも言えるものです。シンプルにカットデザインされたクリスタルは水晶のように神秘的に輝き、装飾具の見事な細工と一体となって独特の存在感と美しさを放っています。
バカラと日本
1867年のパリ万博に日本は2000点近くの美術工芸品を初出品しました。出品された工芸品の細工の美しさや、
日本独自のデザイン感覚に衝撃を受け、世界中でジャポニスムといわれる日本ブームが起きました。
バカラも日本美術との出会いをきっかけに、これまでとは違う作品表現に挑みました。
日本人が心に抱く自然への敬意の念や空間をも含めた美的感情を、高度な技術と繊細な感覚で作品に取り込んだのです。
テーブルの華
パーティーを華やかに演出しゲストを楽しませるために様々なテーブルウエアがつくられました。
ロシア皇帝用に一からデザインされたグラスなど、その種類は数えきれません。